マルコ 3:19-30

『すべて赦される』

 イエス様の働きを見て、群衆は神のみわざとほめますが、批判する者たちは霊的な力を認めながらも、悪霊によるものだと悪口を言います。

 

1.サタンと悪霊

 聖書は、神様に敵対するサタンや悪霊が存在することと、人を神様の祝福から引き離し、苦しめていることを記しています。イエス様の時代の人たちは、サタンが悪霊を手下とする一つの王国をもっていると考えていました。

 サタンとは自己中心、自己顕示、自己満足のかたまりです。人の心にも同じようなところがありますから、サタンは私たちを誘惑し、神様の義と愛に対して疑わせ離れさせて、永遠の滅びに至らせようとします。

 イエス様が悪霊を追い出されるのは、悪霊同士がもめているのではなく、神の御国が来ていることの現れです。「強い人」とたとえられるように、サタンや悪霊の力は人間では立ち向かえません。だからこそ、イエス様はさらにまさる力をもって「強い人(サタン)を縛りあげ」、「家財(大切な宝)」であるわたしたちを取り戻すために、この世に来られました(第一ヨハネ3:8)。ただそのためには、イエス様はご自分の命を犠牲にしなければなりませんでした(ヘブル2:14-15)。それは私たちを命を捨ててでも取り戻したいほど愛し求めておられるからです。イエス様は私たちが神様から離れ犯してきたすべての罪を赦し、悪しき力から守って、神様の恵みの中に歩み続けるよう助け導いてくださる人生の主、救い主です。

 

2.ゆるされない罪

 イエス様は「その犯すすべての罪も神をけがす言葉もゆるされる」とおっしゃる一方で「聖霊を汚す者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」とも言われます。

 「聖霊を汚す」とはまず、直接的にイエス様が神の御子であることを否定し、その働きが聖霊の知恵と力によるものであることを認めないことです。律法学者たちは、自分たちの思い描く姿でなければキリスト(救い主)を認めず、自分たちが正しいとする方法でしか救われないと決めつけていました。

 また人をさばき、許さないことあるいは自分を許さないことも聖霊を汚します。聖霊のお働きは、救い主であるイエス様を指し示して信じる心を与え、人を神様のもとに立ち帰らせて平安と喜びを与え、命に生かす働きです。人を責め続けたり、恨み続けていることは、その人を生かそうとする聖霊に逆らい、また自分も喜びを失ったままで、聖霊を悲しませます。

 「人の犯すすべての罪」は。間違った行いであり、罪を認め悔い改めて、主イエスの十字架を信じれば赦されます。しかし「聖霊を汚す者」とはその人の性質であり、態度です。神様の義と愛を喜ぼうとせず、命の交わりをもとうとしませんから、自分から滅びの道に進んでいます。

 悪魔の所有になり言いなりになっていたわたしたちが、イエス様が命を捨ててくださった十字架によって救われ、神のものとされている大きな恵みを喜び、賛美と感謝にいつもあふれましょう。