マルコ 3:13-19

『宣教への派遣』

 イエス様がお選びになった12人は「使徒」と呼ばれ、主の復活後、ペンテコステの日からはユダを除く11人が中心となって教会が生れてゆきます。

 

1.みそばから遣わすため

 イエス様が12人をお選びになったのは、「自分のそばに置くため」、そして「宣教に遣わす」ためです。

 主の弟子はまず、主のそばにいる者です。まだ何もできなくても、主の言葉を聞き、なされることを見届ける時に、すでに主の弟子であり、主の恵みを世に伝える証人として備えられていきます。わたしたちも主のために何かをする前に、まず主のもとに静まって養われ、導かれる歩みが与えられています。

 また使徒として世に遣わされますが、その成果も失敗も迫害も、主のもとに戻ってきて報告することも弟子のなすべきことです。わたしたちも主のもとから世に遣わされ、また主のもとに戻ってくる存在です。主日の礼拝からこの世に遣わされ、また主のもとに帰って安息を得る週ごとの歩みであり、最後は主の御許に召され帰って行く、御国を目指す生涯です。

 

2.真ん中に立ちなさい

 この章の初めに、イエス様が片手のなえた人を会堂の真ん中に招き、「手を伸ばしなさい」と言っていやされました。人から見下げられていても、救いを求める者の痛みや苦しみを主は知っておられ、信仰による救いへと導かれます。弟子たちは、このような主のみわざを間近に見続け、自分もただ恵みによって主のそばに招かれていることを改めて感謝していきます。そして主の言葉に従うところに、人知を超えた主のみわざがなされることを自分でも経験していきます。

 主イエスの弟子と自負していても、やがてゲッセマネの園で主が捕えられたときには逃げだし、主との関わりを否んでしまうほど弱い者たちです。しかし聖霊が降ったときから大胆に世に出て行きます。それは聖霊によって改めて主の言葉を聞き、「手を伸ばしなさい」と主の声を自分のこととして受け止め、悩み苦しむ人たちに福音を証しし、伝えるように力づけられたからです。

 

3.小舟に乗りこまれた主イエス

 またイエス様は、押し寄せる群衆を避けるために、小舟を用意するように弟子たちに命じられました。これも弟子たちにとって、自分が何者か、何が大事かを考えさせることでした。

 イエス様は全世界に福音を宣べ伝えよと命じられます。そしてそのために小舟に乗り込み、子ろばに乗られました。人の評価ではなく、主の選びの中で用いられていくときに主の栄光が現され、関わる者がみな共に喜ぶことができるからです。

  12弟子は皆「小舟」でした。しかしこの福音書が記されたとき、それぞれに主に愛され、赦され、用いられていることを証しし、使徒としての働きを全うしていきます。わたしたちも主のみそばに近づかせていただき、そこから主と共に遣わされてゆきましょう。