マルコ 1:14-28

『キリストが福音』

  主イエスが宣教を始められると、その評判が地方一帯に広まり、人々が四方から集まってきました。

 

1.わたしについてきなさい
 主イエスは宣教を始めるに先立って、ガリラヤ湖の漁師4人に「わたしについてきなさい」と声をかけられました。後に弟子また使徒と呼ばれるようになる人たちですが、最初はイエス様の後について行き、語られる教えを聞き、なされるみわざを見る証人となるためでした。

  わたしたちも、信仰生涯において最初にはっきりと主イエス・キリストを信じる決心をすることと共に、その後「従う」決心に立ち続けることも大事です。

 

2.権威ある者の教え

 当時の人々は、町や村ごとにある会堂(シナゴーグ)で安息日ごとに礼拝を守っていました。礼拝では、神の恵みに対して、また救い主を待望する賛美や祈りがささげられます。また(旧約)聖書が朗読されます。聖書は定住する、あるいは巡回してくる律法学者によって解説されることもありますが、そこに救いはありませんでした。

 イエス様が会堂に入って教え始められると、人々はその権威ある教えに驚きました。律法学者は歴史の中で記された「神の言葉について」語りますが、主イェスは今生きておられる「神の言葉を」語られたからです。

  後に、永遠の命を求めて訪ねてきた律法の専門家に、主は「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」とお尋ねになられました(ルカ10:26)。聖書の言葉は、かつて記された言葉ではなく、今生きておられる主が語りかけておられる言葉です。わたしたちが自分の心と生活に受け入れ、あてはめて従っていく時に、神様が生きておられ、わたしのために救いを与えてく ださることを見ることができるのです。

 

3.あなたは神の聖者です

 この時、汚れた霊に取りつかれている男は「ナザレのイエス、かまわないでくれ」と叫びます。もともと悪魔や悪霊と呼ばれる霊的な存在は、神様に背き、関係を切ろうとした者たちです。人間も、アダムとエバ、またカインの姿にあるように、罪を犯してしまうと身を隠したり、主の問いかけにまともに答えなくなります。罪の力は正しい関係を切る方向にいつも働こうとするからです。

  そんな罪の力に流され、背いているわたしたちに、主は進んで関わろうとされます。私たちが神様との関係に立ち帰って、祝福された生涯に生きるために、妨げとなっている罪の解決を与え、罪の力から守られるように共にいて支えてくださっています。

 イエス様の宣教の言葉は「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」です。これはわたしたちに近づいてくださるイエス様であり、福音を信じるとはイエス・キリストを救い主と信じることです。その時から神の民とされ、神様が働かれる救いの豊かさが広がっていきます。わたしたちも御言葉によって救われ、生かされる幸いを自ら喜び、証しする者となりましょう。