マルコ 1:9-13

『天からの声』

 主イエスは働きを始める前に、ヨハネからバプテスマを受けられました。その時に天からくだった聖霊と声は、イエスが「神の子」であることを証しします。またキリストを信じバプテスマを受ける者が、神の子とされ、主イエスに結ばれて生きる歩みを示しています。

 

1.主が受けられたバプテスマ

 バプテスマを受けようとされるイエス様にヨハネは当惑したことが、他の福音書には記されています。イエス様は神の子キリストであり、自分は「そのくつのひもを解く値うちもない」ことを知っていたからです。

 しかし主はこれを「正しいこと」(マタイ3:15)と言われます。この後、主は「神の国は近づいた」と宣べ伝えていかれます。悔い改めてキリストの救いにあずかった者は神の国の民です。その転機のしるしがバプテスマですから、イエス様は後に続くわたしたちのために先立ってバプテスマを受けてくださいました。

 

2.聖霊がくだって

 信仰を告白して洗礼を受ける者に、聖霊の恵みが注がれます。聖霊は、信仰に入るまでも、まことの神様を知り、自分の罪を悔い改め、救い主キリストを信じることができるように、導き助けておられました。そしてキリスト者は、御言葉を通して神様が目に見えなくてもいつも共におられること、またわたしたちの祈りや願いをそばにいて聞いて 聞いておられることを、聖霊の助けによって確信しています。

 聖霊による神様との交わりや、主イエス様への救いの感謝を忘れず、聖霊に満たされ続ける歩みにわたしたちは導かれています。

 

3.天からの声

 神のひとり子であるイエス様はもちろん「愛する子」であり、またふさわしいお方ですが、主イエスを信じ救われたわたしたちも、神様から「愛する子」と呼びかけられ、受け入れられています。

 また、「わたしの心にかなう者」は、本来、父なる神に従い抜かれたイエス様の他には誰もありません。しかしイエス様は信じるわたしたちのすべての罪を赦し、とがを覆ってくださいます。また聖霊の助けによって御心にかなう歩みへと導き励ましてくださっているのです。自分の過去を振り返ったり内側ばかり見ても、失望し、落胆するばかりです。十字架を通して示された神様の愛をいただき、主の恵みとその力に期待しましょう。

 ここに「霊」とか「天からの声」といっても、ことされに神秘的なこと、超自然的なことをいっているのではありません。「神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記1:2)ように、わたしたちの歩みに自然に伴っておられるのです。

 この後12-13節には、荒野の試錬が記されます。救われて神の子とされたわたしたちも、時に荒野に追いやられること、試錬を通らされること、食い荒らそうとする獣に脅かされることがあるからです。しかし神様は御使いたちを通してわたしたちを守っておられます。(列王紀6:15-17、マタイ18:10、使徒5:19)

 神様はわたしたちが与えられた能力や賜物を、精一杯に用いることを喜んでおられます。いつも助け励ましておられます。わたしたちも祈りの中で神様の支えと助けを期待しながら、一人一人に委ねられた働きによって、神様の祝福を共にいただくものとならせていただきましょう。