マルコ 4:35-41

『天と地の主』
 主イエスの復活は最大の驚きですが、弟子たちはそれまでも主のみわざに何度も驚いています。

 

1.驚きの波紋
 イエス様の働きが始まると、人々はその権威ある教えに(1:22)、悪霊を従える力に(28)、病をいやす力に(2:12)驚きました。そしてそのうわさが広まって、おおぜいの人が集まってきました。しかし波紋は、固い岸にあたるとはねかえってきます。一方では、イエス様のみわざに対して、驚きを超えて恐れをいだくようになったり、イエスをきらい憎み、ついには殺そうとたくらむ者まで起ってきます。悩みや心配事はあっても、今の生活を変えること、変えられることを喜ばないのが人の心です。
 またユダヤ人は自分たちを信心深いと思っており、遠い先祖に奇跡をもって神様の救いがもたらされたことを学んでいますが、遠い昔話のようであり、自分の身に起るとは思っていませんでした。

 

2.この方はだれだろう 

 弟子たちは、嵐を静められたイエス様を見て「いったい、この方はだれだろう」と言っています。これまでイエス様は、神の国について人々にはたとえで話されましたが、弟子たちには「ひそかにすべてのことを解き明かされ」ました(4:34)。つまり弟子たちは、ただイエス様のみわざを見るだけではなく、その御言を聞き続けることによって、救いの出来事よりも救い主を求める者へと変えられ始めていました。

 しばらくしてイエス様は弟子たちに、「あなたがたはわたしをだれと言うか」とお尋ねになります(8:29)。ペテロは代表して「あなたこそキリストです」と告白しました。弟子たちはイエス様をまことの神であり、救い主であると信じることができました。そしてイエス様から苦難と十字架、復活の予告を聞きます。ただ信仰があっても未熟な弟子たちは、その予告を受け入れることができませんでした。

 イエス様が実際に捕えられ、十字架につけられて殺され、葬られる間、弟子たちの心は激しい嵐の中を通らされました。それはもう一度イエス様はだれなのか、自分はどんな存在なのかを問われるときでした。

 

3.天地を造られた主を信じて

 主イエスはよみがえられ、弟子たちに平安と喜びをもたらされます。また聖霊がくだり、弟子たちはキリストの福音を広め始めました。その福音は、どんな人生の嵐に出会っても、天と地を造られたお方に静められない嵐はないことを教え、その主の導きに従っていくときに平安があり、希望があるメッセージです。

 弟子たちがここで経験したのは、まず、主の導きに従っていっても嵐があり得ることです。イエス様は十字架につけられる前の晩に「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と弟子たちに告げられました。使徒パウロも「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」(使徒14:22)と苦難を予告しています。

 また、弟子たちは、嵐の中でも眠っておられるイエス様の姿に「まどろむこともなく眠ることもない」(詩121:4)神様の守りに委ねる平安を学ぶことができました。

 群衆はイエス様のみわざを見て驚いてから信じようとしますが、それは本当の信仰でありませんでした。イエス様が弟子たちに「どうして信仰がないのか」と問われるのは、御利益主義ではなく、主との信頼関係が、目に見えなくても御言葉をもって助け励まし。心に平安と希望を満たし続けてくださる主との交わりに生きる者となってほしいという思いです。わたしたちもこれからも主の救いのみわざに驚かせていただき、なお主に信頼して歩む者とならせていただきましょう。