マルコ 2:1-12

『罪をゆるす主』

 主イエスによるいやしの記事が続いていますが、この箇所は救いの目的がはっきりしています。

 

1.御言葉が現実となる

 イエス様が宣言された「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(1:14)の言葉がここに実現しています。「神の国」はどこか遠くにあるのではありません。神様が生きておられ、わたしたちを救い、共に生きる交わりを喜ばれる、そこに神の国があります。

 またそこには「福音を信じる」ことを行動で示した四人の友人がいました。わたしたちも聖書の言葉が今も生きて働いていることを信じ、そこに自分を置いていく者です。

 

2.子よ、あなたの罪は赦された

 屋根をはいで穴を開ける、乱暴とも思われる出来事ですが、主は四人の友人に信仰を見られました。そして病人に向かい、弟子に対するように「子よ」と呼びかけ、受け入れられました。そして与えられたのが「あなたの罪はゆるされた」との言葉です。

 「神の国に入る」とは、救いを求めて近づく信仰と共に、神様に受け入れられたという確信を持つことです。罪は神の前に出ることを妨げ、神との交わりを断ちます。主イエスによって罪がゆるされたことを宣言された信仰は、一方的な信心ではなく、神様の子とされ、愛されて生きる交わりです。

 ただ「あなたの罪」とはきびしい言葉でもあります。「あなたは罪人であり、赦しが必要である」という意味でもあるからです。中風がいやされて帰った人は、最初はいやされた喜びが大きかったかもしれませんが、その後の生涯を支 えたのは、罪が赦され神様の愛に生かされる喜びだったのではないでしょうか。

 聖餐にあずかるごとに、わたしたちも罪人の自覚を持ち、主の赦しの恵みを心からおぼえ感謝し続けることが大事です。

 

3.罪を赦す権威を持つお方

 イエス様の言葉に驚き怒ったのが律法学者たちでした。「神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と考えたのは、間違いではありません。人間の権威で、また何の根拠もなく、罪の赦しを言うことはできないからです。

  しかし、イエス様は神の独り子であり、また自ら十字架に血を流して罪の代価となってくださいました。ご自身の命、また十字架に至るまで私たちのために献げきってくださったその生涯にかけて、「あなたの罪は赦された」と宣言されたのです。

 主は続いて「起きよ、床を取り上げて(担いで)家に帰れ」とおっしゃられました。これも、ただ病をいやすことが主の目的ではなく、いやされてからの歩みを導く言葉です。中風は治っても、帰っていく家では生きていく労苦があります。また何かの病気になったり、けがをしたり、人間関係で苦労したり、そして最後は死ぬのがわたしたちです。でも、わたしは神様に愛され、生かされていると信じ、喜びと感謝をもって主との交わりに生きていく、そこに神の国が現れています。一人一人に「子よ」と呼びかけてくださっている主の言葉に応えましょう。